血液サラサラ薬と知人の死


今日、知人の訃報に接しました。妻が職場の同僚からそのような話しを聞いてきて、今朝の新聞のお悔やみ欄を確認したところ、彼の名前が載っていました。まだ50代で、私より3歳年上でした。

お互いの娘が同い年で保育園が一緒でした。同齢の子が10人そこそこの、過疎の村の保育園です。私は一時期彼とおなじ集落で暮らし、酒席で一緒になることが多かったのですが、お互いに釣りが趣味で、彼がキャッチ・アンド・リリース派のバス釣り師であるのに対して、私は釣ったら食べるが信条の雑魚釣り師でしたので、一緒に飲みながら口論に近い状況になったこともありましたが、彼はそんなときも笑顔のままで持論を語っていました。

以前から若干肥満体型ではありましたが、人の話ではここ数年で急速に太ったということでした。10数年前に私が隣村へ引っ越してから対面する機会が少なくなっていました。

彼の住んでいた地域に仲間と植樹をした公園があり、今日はそこの木々の冬囲いに出かけて、彼の急死の経緯を伺ってきました。

彼は職場で急に手の自由が効かなくなり、周囲がそれに気付いて声をかけても始めは大丈夫と笑っていて、けれどもその後に病院を受診して脳出血が判明し、本来であれば緊急手術が行われるべきところ、近医の処方で服用を続けていた「血液をサラサラにする薬」による大量出血への懸念から、その薬の影響が低減するまで手術が見合わせとなり、そうしているうちに肺血栓を併発して落命したのだということでした。

抗凝固薬を常用しながら、彼がはたして健康のために節制していたかどうかは知る術もないのですが、発症した病気が「脳出血」であったことと、その薬のために生死を左右する手術が受けられなかったことを考えると、彼の死に抗凝固薬が深く関連していたことは誰の目にも明らかです。けれどその薬を常用していなければ、もっと早い時期に健康が損なわれていた可能性もあるわけですから、最悪の結果だけを見てその原因を医療の瑕疵に求めることは出来ません。



このような不幸に接して、あらためて身体に宿っている根本的な回復力が、本当に大切なのだという思いを抱きました。薬は非常に有難いものですが、怖い側面もあります。私自身、思えば口の中に血豆が頻発して酒の多飲が原因だろうと感じていても、ゆるく休肝日を設けてみただけで、これまで健康をないがしろにし続けてきました。けれども健康というのは思っている以上に不可逆的なもののようです。いったん損なわれてしまうと機能が回復しなかったり、その治療のために他に望ましくない影響がでてしまったり、そうした連鎖的に健康が損なわれてしまうスパイラルに陥ってしまうと、抜け出すことは想像以上に困難なことのようです。出血傾向と脳出血・・・自身に起きるのではないかと漠然と警戒していた不幸が、奇しくも身近な人の身に起こってしまいました。


目を瞑って、元気だった彼の笑顔を思い浮かべてみます。まだ10代の娘さんを含む家族を残して逝かなければならなかった彼の無念を思い、我が身にも同様な不幸は起こり得るのだと、重々胸に刻みました。


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